水平に広がる連想を穿つ垂直性

Tumblrとのバイパス、やっぱりつづかない

Tumblrの画像を探していると、たんに「連想」だけでは説明がつかないことが分かった。

画像は目の前に、魅力的なイメージとして浮かんでは消えていく。

その日の気分、天気、なんとも説明できない不確定要素によって、魅力的ということの意味が変わっていく。そういう微妙なことを牽引する「連想」という作業は、ある種ただしい。

けれど、連想は必ずしも連続ではない。

不確定な選択を牽引はしても、ある瞬間の変化に垂直性が生じる。

水平に広がる連想を穿つ垂直性。

その組み合わせがTumblrだと思う。

やっぱり画像は、画像以上でも以下でもない

ってことでもある。

言語も言語以上でも以下でもない。

説明が面白いといっても、その画像を選択したときのアンニュイな説明不可能な気分を表現はできないし、書く時点ですでに画像を選択した時点とはタイムラグが生じている。

そういう意味でも食い違う。

仕組みとして、過去の選択へアクセスを容易にしたい

たとえば、1ヶ月前の画像が見たいと思っても、Archiveでは重いから、クリックしない。

Archiveに似た機能で軽いもの、というものがいろいろあるみたいだ。

それを取り入れて、スクラップブックを開くときのインデックスを組み込む。

そういう願望を持っていたんだと思う。

だから、言葉は要らない。

画像は画像のままでよいし、そんなこと明らかだった。