ここに置かれたわたし

ひさしぶりに肌寒いと感じる一日だった。
テレビで誰かが死んだと報道していた。
誰かが産まれる時よりも、死んだときの訃報は多い。
重なった事実の、その内側にある産まれた「あなた」
に、ついて報道はなにも教えてくれない。
いや、誰にも「あなた」なんて分からない。


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今夜、とてもいい音楽に出会った。
ペルト(Arvo Part)というひとの音楽。
単音が、ここ、に置かれ、それが続く。
音の重なりはほとんどない。
一連の音が、ここ、に置かれ、淡々と続く。
死ぬということを畏れない、ひとつの音。


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最適な環境とは創造的な人々が相互に緊密な交渉
ー 憎んだり、愛したり、羨望したり、賞賛したり ー
を持っている環境である。言いかえれば、
お互いに敵対し張り合うために、
顔面は紅潮し、胸は高鳴り、頭は激情でみなぎっている
といった環境である。

『波止場日記』(エリック・ホッファー)での、
日記のひとつに書いてあった。
産まれることは、何でもないようでいて、きたない。


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重ならない音のように、重ならない人生を送ることは、
きっと、そんなに、容易でない/であるか、だろうか。
わざと、意味を持たせない不明のまま、「ひとつ」にあること。