大学助教の雇用寿命

ポスドクに関する優れたネット上の論考(例えばここ)を読んでいると、忘れてしまいそうになるけど、実際教員になったらどうなん、という興味も正確にデータを伴った把握をしておきたい。特に教員になりたての初期の段階における情報が欲しいと思っていた。

"Survival Analysis of Faculty Retention in Science and Engineering by Gender"
Deborah Kaminski and Cheryl Geisler
Science 17 February 2012: Vol. 335 no. 6070 pp. 864-866
DOI: 10.1126/science.1214844

そんな先週の金曜日(2/17)、大学教員の雇用に関する論文が報告された。マサチューセッツ工科大学(MIT)、コロンビア大学プリンストン大学などアメリカの14大学を対象とした調査結果だ。

大学の教員といっても教授、准教授ではなく、論文のターゲットは「テニュアトラック助教」に絞られている。テニュアトラック助教は、一般に浸透した言葉とは言い難い。最近、日本でも盛んに導入されるようになってきたが、定義は大学によってもまちまちのようだし、アメリカで運用されているテニュアトラックとは異なっているようでもある。大雑把な理解をするなら、テニュアという言葉を理解するのが手っ取り早い気がする。テニュアは「ずっと大学の教員でいれまっせ(まあ、かたい表現では終身雇用資格)」という意味で使われる。

400メートルトラックのスタートラインに立って、ピストルの合図とともにテニュアというゴール目がけて憤然と競争する。テニュアトラック助教とはそんな感じの、熾烈だけど将来的にはラボ運営へと繋がるかも、という旨みのある立場だ。下手こいたらゴールテープを切れず(テニュアになれず)に、退職ってことも十分あるんだけど。アメリカのアカポス競争は、大抵テニュアトラック助教を経てテニュアの准教授とか、教授とかになる感じ。まあ、テニュアトラック助教になる前にポスドクの期間もあることが多いみたいですが。

てなわけでこの論文では14大学、計2966名のテニュアトラック助教を対象として、雇用時期から退職時期を追跡調査したというもの。個別データは大学で公開している年報みたいな媒体を情報ソースにしたんだって。あと、この論文の目的の一つに性別(ジェンダー)があるから、男か女も名簿の名前から推測したと。男か女かよく分かんないときは、大学に電話して直接確認したらしい。ここらへんのデータ集め、意外と地味にめんどくさそう。

あと、論文を読むうえで重要なこととして、「理学・工学」の分野に関するお話だということ。面白い略語が使われてて、知らなかったのだけれどSTEMっていう理工学分野を総称するような表現があるんだね。Science, Technology, Engineering, and Mathematicsの頭文字をつなげてSTEM。普通、ステム(stem)って植物の「茎」を意味するから、何か学問領域の根幹分野という意味を込めてるのかな。とか、シャレオツな略語みたいです。

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テニュアトラック助教のはなしが長くなってしまったけど、ここから内容に触れてみたい。

この論文タイトルの和訳があって「理工学分野における大学教員在職期間についての性別による生存時間解析」っていかめしい訳がついてる。「生存時間解析」ってなんか恐い。あかんかったら死ぬ、みたいな感じだし。Kaplan-Meier生存曲線とかいうのでテニュアトラック終了を調べたらしくて、とにかく、雇用されてから退職するまでの期間を3000人近い理工系のテニュアトラック助教(男女含む)について平均すると、10.9年で50%のテニュアトラック助教が退職しちゃう。まあ、退職といっても「テニュアトラック助教」が終わったという意味であるだけで、無職になるということではないみたい(この点きちんと読んでないので多分ですが)。退職しても、テニュアトラックを勝ち抜いて昇進するとか、あるいは、他大学とか企業に職を見つけたのかもしれないし。もちろん、本当に仕事をやめたっていうケースも含まれると思うけれど。

それにしても逆にいえば、半分のテニュアトラック助教は10.9年経ってもテニュアトラック助教のまま、ってことですよね。これ、思ってたより長くね?というのが率直な感想でした。例えば27歳で学位(博士号)とったとして、3~6年くらいポスドクやって、んでテニュアトラック助教になって約11年経ったら41~44歳ですよね。結構な年になってまうやん。超優秀で30歳でMIT教授になっちゃったみたいなErik Demaineみたいな人の影で、多く一般のアカポスキャリアパスは、やっぱりいばらの道なんやなと、再確認した次第です。

そんで面白いのは、Kaplan-Meier生存曲線を男女ともに作ってみたらしいのだけれど、ほっとんど同じ生存曲線だったという点。これは半分のテニュアトラック助教が退職する期間が、男と女で変わらないっていう意味です。つまり、テニュアトラック助教の雇用機会に性差はなく機会均等である、ということだそうで、この論文の筆者も喜ぶべきことだと述べていますね。

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さて、暗い話かもしれない退職をめぐる数字が報告されたわけです。一方で、本論文では、もちろんテニュアトラック助教の「昇進」についても教えてくれています。

一般にテニュアトラックの競争を勝ち抜くと、テニュアの准教授に昇進します。分野で括らず大掴みなんですが、テニュアトラック助教として入った内64.2%は同じ機関の准教授に昇進したんだそうです。3人中2人は准教授になる。この数字をどう捉えるかは分野にもよるかと思います。上記とまったく同じ考え方で、3人に1人は昇進できないともいえるわけですから。いやはや、競争なんですよ、競争。半数のテニュアトラック助教は10年以内に退職してるんだけど、この内昇進した人もいるってわけね(そうしないと辻褄が合わない)。加えて10年以上テニュアトラック助教を勤め上げた人の内、准教授になる人もいるってことですか。

正教授(full professor)になるためにかかる時間も見積もってあります。正教授への昇進の平均時間はテニュアトラック助教雇用時から数えて、男性で平均10.73年、女性で平均10.91年だったということです。まあ、これは90~93年着任の集団を対象に解析した結果で、確実性が低いっぽいみたいで強調されて書かれてはいません。とはいえ、正教授への道のり(雇用機会)も男女機会均等ということが言えます。あと、正教授になる約11年という時間、あれ…、という感じです。そう、半数が退職する時間(10.9年)と同じやんけ。という。ここ、気になります。論文中でこの点に関する言及や議論はされていなかったように思うんだけど、解釈のしかたによっては、約11年で半数はテニュアトラック助教のまま、一方で正教授になっている人もいる。正教授になれた人数の記載はないけれど多分、少ない。

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退職という表現で書いてきたけど、その内には積極的な昇進や外部への異動も含まれるみたいで。テニュアトラック助教流動性についてはどうなんだろう。

確率密度関数やハザード関数を利用して、いつごろのタイミングでテニュアトラック助教が「退職」するのか調べていて、それを見ると退職する割合は最初の10年間で高い。最初の3年は、退職割合はいくぶん小さいが、続く3年は退職割合は高い。なんか回りくどい言い方ですが、テニュアトラック助教になって4~6年目に退職ピークがあるというわけです。これはネット上の言説(例えばココ)とか現実に聞いたりする日本での感覚とも合致します。テニュアトラック助教はだいたい3~5年でテニュアになるための審査を受けます。多分、この初期における「退職」は、審査を受けてテニュアをとれた人・とれなかった人どっちもカウントされてますね。この論文では。したがって、この退職ピークは「約束通り審査するで、覚悟はええか」みたいにルールに従った積極的な意味でのピークと捉えたほうが自然な気がします。

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以上の内容だけでも、とっても参考になったのだけど、まだ書いておきたいことが残っている。ここまでは理工学という括りでさまざまな分野を包括的に議論してきた。あと大学別の情報も記していない。

まず大学の影響について。14大学で違いはなかった、とサポーティングにそっけなく書いてあるだけだった。これを流し読みしてしまいそうになったのだけど、何か不思議です。何の違いかっていうと、これは生存曲線の事やと思うんですけど、どの大学でも一律「約11年で半数退職の法則」が成り立つ訳なんでしょうか。そう読み取れてしまうのですけど、もしそうなら大学による雇用機会に差がない点について詳述して欲しいところです。これはテニュアトラック制度が、どの大学でも一般化して語れるということなのかもしれませんし。

理工学の分野については、きちんと表も載せたりして議論していました。日本なら学科に相当する部門(discipline)ですかね、そこを20に分類しています。例えば、Biology(生物学)、Chemistry(化学)、Civil Engineering(土木工学)、Mathematics(数学)、Physics(物理学)などという具合に。そして学科ごとに生存曲線を作って、統計的な違いを論じてます。分野ごとの詳細は論文に譲りますが、結果としてほぼ全ての学科間で統計的な差異はみられなかった。つまり、テニュアトラック助教の生存曲線(生存競争でも意味は通じるでしょう)は分野による違いはないという意味です。拡大解釈して簡略に言わせてもらえば、テニュアトラック助教キャリアパス、どの分野もだいたい同じ、そんな感じなのです。

「ただし」。きました、論文には決まり文句ですが、たいてい例外があります。それは数学の分野です。数学の分野では他の分野よりも退職が早く、かつ女性は男性よりも退職するのが早かったそうです(女性が4.45年、男性が7.33年)。筆者はこの原因については明言しておらず、原因解明のために今後の精査が必要としていますね。ただ、これは感覚的にですが、数学の分野は若くして昇進する人が多い反面、挫折し野に下る人の割合も多い分野な気がします。「修羅場度」が高いというか、そんな感じがします。ただ、他の分野で大きな違いがないっていう結果の方が意外でした。何か流行の分野と地味な分野とかで整理したら違いが出そうな気もするんですが。

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この論文の主張として、雇用機会は理工系全体また分野(数学除く)によっても男女による性差がない、というのがもうひとつの大きな結論なわけです。タイトルにジェンダーを入れている訳ですから。当然ですね。ただ、不均等なところで大きな箇所がひとつ。男女構成比です。これは今でも圧倒的に男性の割合が大きいのがアメリカの現状みたいです。かなり大雑把な見積もりをしているみたいですが、本論文の筆者は今後100年くらい経たないと男女構成比50%にはならないんじゃないか、と述べています。

ただ、テニュアトラック助教にせよ、日本における公募(大学教員の採用試験みたいなもの。もち熾烈な競争。)に最近は必ず見かける文言があります。「業績が同等と認められる場合、女性の雇用を優遇する」的なアレです。これは男女構成比を是正したいんでしょうが、いやはや、何だか本質的じゃありません。能力を天秤にかけて、同じだったら最後は「性別」で決定するという規定。なんなんでしょうか。

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本研究のアプローチは大学の年報とかを徹底的に調べれば可能です。日本版の生存曲線を是非見てみたいものです。

生み出す

マタイ効果(Matthew effect)という考え方がある。

「沢山ある人は、もっと沢山手に入る。けど、持ってない人は、手に入らない。」

Robert K. Mertonの提唱した概念だという。

1968年、科学分野でのマタイ効果についての彼の論文がScienceに出ている。

コロンビア大学で教鞭をとっている時期だ。


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就職先で悩んだとき、いわゆる「儲かっている(お金がある)」という点が決め手になったりする。

お金があるところは、もっとお金が入るから。

手に入れたいと願っている初期の「ゼロ」地点では、+1が大きい。

それが10持っていれば、+1の価値は相対的に減少する。

100000000000持っているなら、+1はむしろ「ゼロ」になる。


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尻馬に乗る。

「ゼロ」段階で、巨人の肩に乗ろうじゃないか。

いきなり、+100くらい行くかもしれない。という可能性の高まり。

野心という炎。めらり、と。


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いや、有名、無名の両極ばかりが際立つ。

ゼロから無限の帯の間に無数に存在する点として、あらゆる活動を得点づけしたら。

果して、「持っている」段階には何点以上からなのか。と。

きっかけとしてのマタイ効果の利用は、加速を効かせるには良さそうだ。

ただ、「尻馬に乗る」と揶揄したように、そのまま乗っていてはいつか吸収され、同化する。

分岐し、アメーバのように触手を別に伸ばしていく。

伸ばした腕の先で、また尻馬に乗る?とでもいうのだろうか。


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決定的な決別。

いずれ、どこかで、そう遠くない未来に。

自分の腕をちぎり、別の地点を開拓する準備も怠ってはならないという示唆。

ここで、産声を上げる我が子、がいること。

貰い子ではない、正真正銘の(そこまで厳密ではないかもしれない)我が子。

そういう価値を見出すこと。

生み出す、とは、そういうことかもしれない。

プルトニウム238と239+240

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。


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福島第一原子力発電所の周辺5点の土壌から、放射性物質プルトニウム(Pu)が検出された、
東京電力は3/29未明の記者会見で発表した。
これが、そのときの配布資料のキャプチャ画像だ。

単位はBq/kg。
5点の土壌におけるPuの同位体「Pu-238」と「Pu-239, Pu-240」の値が示されている。
「Pu-239, Pu-240」はPu-239と240の和を意味するものと思われる。
半減期について、238は88年、239は24000年、240は6600年。


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とある記者が
厚労省の暫定規制値(食安発0317第3号)を超えていると思われるが、どうか」
と質問した。それに対し、東京電力
「天然環境中レベルの範囲内のため、安全と判断」
と論点ずらしの回答に終始した。
暫定規制値(食安発0317第3号)は、厚生労働省が3月17日に発表した。
ここでのPu-238、239、240に対する暫定規制値は、
乳幼児用食品、飲料水、牛乳・乳製品が1Bq/kg、
野菜類、穀物、肉・卵・魚・その他が10Bq/kgである。


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「天然環境中レベルの範囲内」の根拠として使用されたデータがある。
上のキャプチャをもう一度よく見る。
「国内の土壌」の値として、文部科学省の「環境放射線データベース」に基づいている。
このサイトを利用すると、土壌中のPu-238とPu-239+240(和)の測定データを得ることができる。


さて、道具は揃った。


「天然環境中レベルの範囲内のため、安全と判断」にメスを入れよう。


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まず、Pu-239+240の数値から。
手っ取り早く情報を下の図に集約した。

データベースで過去全ての「身のまわりなど一般環境」を情報源とし、
得られたデータを整理すると、1999年から2007年の間の測定情報を得た。
内Pu-239+240の検出されたのは計851地点の土壌であることが分かった。
図の箱の下が測定値の25%点、上が75%点。
伸びた線分の上の端が過去測定された最大値で5.1Bq/kgだ。


1・2号排気筒から500m、750mの地点の土壌は共に1.2Bq/kgであり、
過去測定した測定値の75%よりも高い数値であることが分かる。
これ以外の、グラウンド付近、固体廃棄物貯蔵庫前、排気筒から1000mでは
過去の測定値の中央値および平均値に近い。


「天然環境中レベルの範囲内」ではある。
ただ、500m、750m地点の数値を「安全と判断」できるかは疑問だ。


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もっと問題なのが、Pu-238だ。
結論から言うと、今回の測定値は「天然環境中レベルの範囲内」でさえない。


1999年から2007年のBq/kgでの測定実施は1771回に上ったが、
Pu-238が検出された事例はたかだか233点の土壌のみであることが分かった。
これは全測定回数の13%程度で、まあ10回に1度測定検出されるかされないか程度のもの。
この検出率の観点だけでも、「天然環境」を引き合いに出すのは無理がある気がする。


ともかく、同じように図を描いた。

5点の内、Pu-238が検出されたのはグラウンド付近、固体廃棄物貯蔵庫前の2点。
そのどちらもが、過去測定された最大値である0.16Bq/kgを超えている。
過去233点の測定値は幅を持っていて、この最大値は全測定の1%以内の極稀な値。
それを超えている。


グラウンド付近、0.54Bq/kgは過去最大値の約3.4倍だ。


まだある。
ばらつきのある過去のデータを代表する中央値は0.022Bq/kg。
平均値は0.031Bq/kgだ。
過去、様々な要因で検出されたPu-238の代表的な数値といっていい。
この数値と比べた場合、


グラウンド付近、0.54Bq/kgは平均値の約17倍、中央値の約25倍だ。
固体廃棄物貯蔵庫前、0.18Bq/kgは平均値の約5.8倍、中央値の約8.2倍だ。


今回のPu-238測定値は「天然環境中レベルの範囲内」ではない。
まして、「安全と判断」とは、理屈に合わない。


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厚労省の暫定規制値(食安発0317第3号)を超えていると思われるが、どうか」
と問うた記者に対しては、
土壌中Pu濃度と暫定基準値のリストとは異なっており、単純比較できない、となるだろうか。


あえて比較したとしよう。1Bq/kg(乳幼児用食品、飲料水、牛乳・乳製品)という数値に対して、
最も高かった0.54Bq/kg(Pu-238、グラウンド付近)でも、それより低い。


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データベースとの比較から事実としていえるのは、以下。


>福島第一原子力発電所の周辺土壌は、日本国内において過去最高濃度のPu-238で汚染された。
>Pu-239+240は、過去の測定値と比べても濃度は高いレベルにある。


モニタリングを継続するとあった。
正しい情報収集に基づくことは、そう簡単ではない。
事態が「収束」することを祈るほかない。

雲のタネ

雲には凝結核というリンゴのタネみたいなものがある。
そこに水という果肉がくっついて、氷になって膨らんで雲になる。


もくもく。


海の上には塩が、
砂漠の上には土が、
結核になって雲ができているという。


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小さい粒なら、何でも雲のタネになりそうだ。
悪くいわれるのは人間の活動で出てきた凝結核のようで。
煙突からでるススとか、自動車からの排気ガスとか。


雲になって雨が降ってくる。
雲のタネも同時に落ちてくる。


熱帯雨林の上は木々の出す有機物がタネになっているらしい。
雲の凝結核が、まさにタネからできている。


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ちょうどいい大きさのタネが雲をつくる。
人間のつくるものも、自然のつくるものも、
「お、これはいいタネだね」
といって雲はタネを選ばない。


そして雨が降る。


無理がない考えかたで、いつも雲が空に浮かんでいる。
タネがあればあるほど、もくもく、ざーざー、となる。

ここに置かれたわたし

ひさしぶりに肌寒いと感じる一日だった。
テレビで誰かが死んだと報道していた。
誰かが産まれる時よりも、死んだときの訃報は多い。
重なった事実の、その内側にある産まれた「あなた」
に、ついて報道はなにも教えてくれない。
いや、誰にも「あなた」なんて分からない。


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今夜、とてもいい音楽に出会った。
ペルト(Arvo Part)というひとの音楽。
単音が、ここ、に置かれ、それが続く。
音の重なりはほとんどない。
一連の音が、ここ、に置かれ、淡々と続く。
死ぬということを畏れない、ひとつの音。


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最適な環境とは創造的な人々が相互に緊密な交渉
ー 憎んだり、愛したり、羨望したり、賞賛したり ー
を持っている環境である。言いかえれば、
お互いに敵対し張り合うために、
顔面は紅潮し、胸は高鳴り、頭は激情でみなぎっている
といった環境である。

『波止場日記』(エリック・ホッファー)での、
日記のひとつに書いてあった。
産まれることは、何でもないようでいて、きたない。


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重ならない音のように、重ならない人生を送ることは、
きっと、そんなに、容易でない/であるか、だろうか。
わざと、意味を持たせない不明のまま、「ひとつ」にあること。

固定化

朝起きるとあたまが動いているようで眠っている。
起き上った体だけが動いているような感覚。
いや、感覚というのは何か違う。


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食べたい時に食べていた以前とはちがって、
ごはんをよそってくれ、味噌汁も置いてある。
口を動かしているようで、そうでないような、
不思議な感覚のなかで食べる。
食べていると感じる。


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移動というのは疲れる。
電車に乗る。幸いに出発駅のため、座る。
人が増えていく。足がとても気になる。
こう、足というのを2本そのままで維持するのは、
なかなかに苦痛だ。
すこしの変化をもとめて、すこしだけ足を
動かしてみる。cmレベルの動きで、
前後左右に他人の体と足が存在している。


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20階には足りないくらいの建物について、
座る。椅子にはアーム式で右前に小机が出てくる。
左利きを無視している構造的差別。
そこで書き物を続けると左後ろあたりの腰が痛くなる。
ある部分に固定され、限られた範囲での作業はよくない。


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混雑時の椅子。
固定された椅子の机。
動きがない状態はほとほと厭だ。

ぷかり

放置していたわけではなくて、
とくにこれとって書こうという衝動、
それがあんましなかった。


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その日見たこと、
その日感じたこと、
そのまま書きましょう。

できねー。


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義務化するとつまらなくなる。
かといって、弛緩させるとずるずるに、
パンツのゴムひも。

間をとるのは定義が曖昧になりがちで、
バランスをとれているようで、
とれてないってことが多いような。


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移ろう時間の波にぷかりと浮かんで、
身をまかせるには臆病すぎるし、
かといって、
目的地とコンパスを以てオールを漕ぐ、
それほどの自力あるか?という。


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ここでたまに書く。
なんかを備忘するためにまとめる。
とか、してる。

それって、自分にとって有益だから、だったり、
どうしようもないモヤモヤしたものを、
あ、と思った感情を、

そう、

言葉にするまでもないことを、
言葉にせずにしてしまえる、
そういう時期にさしかかっているような気がする。

だから、書く必要性がなくなってくる。
独白する必要もなくなってくる。
とても健康だ。
それでも、人通りの少ない脇道が今も大好きだ。


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「いい言葉」
「偉大な先人」
「有益な知識」
必要なとき、欲しいとき、そう、
とても弱っている、
とても困っている、
手当が必要なときに、
そっ、

と貼ってあげられる事、
そっ、

と貼ってあげられる人、

に。

弱いから、強い。
強いから、弱い。
両立している、そして、周期がある。


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「役に立つ」のは役に立ってから。
「役に立たない」のも役に立たなくなってから。
はじまる、それぞれの意味が生まれる。

その取捨選択を急いでる。
あらかじめ約束された「役に立つ」に向かう。
誰かが持ってきてくれたものに大口開けて待っている。
「うまい」のが当たり前で、
「まずい」と真っ赤になって文句をいう。
成熟した赤ん坊たちへ。

自分の足で歩きましょう。
自分の手でもぎ取りましょう。
自分の口に入れるものを、自分の体で賄いましょう。
できてねー。

向き合ってない。


  ●


何が言いたいのかわからない。
わからなくなってきた。
野暮なもんです。