オンラインに論文が登録されることの是非

James A. Evans. Electronic Publication and the Narrowing of Science and Scholarship. Science 18 July 2008: 395-399.

[概要の適当な拙訳]
オンラインジャーナルはより多くの情報を分散した聴衆に提供し、効果的に検索され集められている。しかし、オンラインジャーナルは印刷物とは違った使われ方をされている。科学者や学者は閲覧したり熟読するよりもネットで検索してハイパーリンクを辿る傾向がある。そのため、利用できる電子ジャーナルは科学にとって皮肉な変化の兆しとなるかもしれない。3400万の記事、それらの引用数(1945から2005)、およびオンライン利用(1998から2005)のデータベースを用いた結果、オンラインでくる雑誌の号が多いほど、記事の引用はより最近になり、雑誌や記事の引用は減少する傾向にあった。またそれらの引用が多いほど雑誌や記事は少なくなることが分かった。これまでは印刷物の保存記録を閲覧することにより、科学者や学者たちは過去そして現在の学問を深めていたのかもしれない。オンライン検索は非常に効果的であり、リンクにより研究者は素早く自分の主張を広げることができる。しかし、これによって合意が加速され、発見とアイデアが狭まることになるかもしれない。


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これ面白いなー。論文はウェブ上に置いていく流れに掉さしてる。
否定してるわけじゃない。


ネットで検索できる論文の範囲って、ネットの場合90年代くらいまでのことが多い。
それよりも古い文献になると図書館とか司書さんとか、
いろいろめんどかったりして、まあ、最近のほうが新しいし良いか、ってなる。


けど科学的に正しいことって、時代の風化に耐えるものであるし、
言いだしっぺの科学者の文章が神がかってたりして、すごい勉強になったり。
って何となく思ってた、違和感みたいなのを、明文化してくれた感じ。


引用するための論文探しなんて、きっとナンセンスで。
究極的にはひとを啓発したり、新しい価値観、考え方、論法を与える知的財産として論文は存在して欲しいし、するべきだと思う。


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コンテンツとかいわれてる感じなんだけど、きっと根本でそうじゃない。
紙は紙で、ディスプレイはディスプレイ。
指は指だし、マウスはマウス。
当たり前の物質としての違いをコンテンツとかいう薄っぺらい質感で覆ってしまう状況かもしれないなー。

なんなんだろーなー。この垣根。
上の問題はきっと過去へ過去へ遡って、もっともっと便利に利用できるんだろーし。
勉強の仕方、とか、資料の集め方、とか。
手法としてネットが取って代わるとかいう、パラダイムシフトとかやめて、方法としてのひとつが増えたという当然の視点でいこうかな、と思った。

使いやすいほうを、ひとそれぞれが、それぞれに、個人的に使っていったほうがうまく行く気がするなー。紙媒体しかだめ。ネットしかだめ。とかすぐ極論走るけど、濃淡のゲージが増えたことを喜びましょう。