個人的な営みであるという共通認識

私は、人生の計画を立てたことがありません。可能なかぎり、完全に無計画な生き方をしてきました。あの薬は、心臓の血液循環と、腸を通る血液循環を研究していた時に浮かんだアイディアから生まれたものです。私は、いつも何かの後を追いかけているだけです。いつも、単純な問題に答えを出せばすぐに解決するようなことを研究目標にしています。(Sir James Black、薬理学者)


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「自宅から送られた論文を掲載したことは一度もないんですよ。そういう人はいつも決まって変人なのです」。

芸術なら大聖堂を作る人もいれば、オーケストラのメンバーになる人もいる。こういうのは社会性の高い活動だ。しかしその一方で、人と付き合わずに屋根裏部屋で絵を描く画家もいれば、大勢の人と会うことを避けて、どこか片田舎でひっそりと仕事をする小説家だっている。科学だってそれと同じはずなのだが、どういうわけか分野全体がまったく間違った方向に行ってしまった。(James Lovelock、化学者)


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私は、科学でも個人を信じている。たぶん、そういう考えはロマンティックなんだろう。でもね、大勢で知識を集積して、xとyとzの意見のどこか中間に真実があるのだろうという、科学の社会的なあり方とは対照的なものとして、私は個人を信じているんだ。名前を持つ誰かが貢献することが重要なんだ。(Antonio Garcia Bellido、発生生物学者


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それはちょうど印象派の絵のようなもので、あまり近づいて見ると無意味な点の集まりになってしまう。少し離れて見て初めて、何らかの印象を受けるのです。優れた進化生物学者とは、本質をつかんだ、決定的に重要な特徴を捕らえた絵やスケッチの描ける人ではないでしょうか。(David Pilbeam、自然人類学者)


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詩ももっと書きたい。科学ももっとやりたい。両方だね!(Roald Hoffmann、理論化学者)