ときどきマンガ夜話
エレクトリックな気分のときに、ペダルを速くコグ。
加速気味な感傷に気づく自分かっこいい的刹那。
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箱の中にこもっている。
目の前にあるのはパソコンのディスプレイだな、これは。
とても規模の小さな箱のなかで、四角い囲みのなかを覗いている。
どういうことだろう。
食事すらうっとおしい。
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テレビが好きだ。
弱い感情のノイズをかき消す、乱暴な内容と下品で低俗なショー。
エレクトリックな銭湯の湯加減は上々で、ある。
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いつもの3人が色々語っていた。
なんだか、いいたいことがはっきりしない。
10年後には面白いと思えるか?
という発言があった。何でか、腑に落ちるようで、よくわからない。
よつばとにはモノローグ(内面の記述)がなく、読者に委ねられている。
自分の小さかった頃の、より広い一般認識(いわゆる常識)を前提とした、読者参加型のマンガであり、そこがすごいよ!と興奮しているようでもあった。
雨が降ってはしゃぐよつば、無敵だ、というとーちゃん。
そこにある気持ちをまったく説明していないけれど、「いいなあ」という大多数の認識、少数だけど「せつないなあ」と感じる認識、どう取ろうが自由なのだ、と。
食い気味に前傾姿勢にさせるあざとさ、を自覚させながら、夢中にさせる。
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あと、伊藤潤二の回も見た。
伊藤潤二の描く世界はホラーなのか、ギャグなのか、と延々。
アシスタントの女性はホラーが苦手なようで、オンエア前に伊藤潤二のマンガを読まなかった。だけど、彼女の発言が一番的確に怖いって何か、ホラーって何か、をずばり言い当てているような気がした。
伊藤潤二の描く脈絡の無い突飛な話の展開を前にして、彼女は怖いと感じる。
夏目房之介がストーリーの破綻があるからこそ、面白いと述べたあとで、読んでない彼女はこう言う。
「わたしは逆に、だから怖い、というイメージがあって。すごいストーリーがちゃんとあって、理屈が最初から最後まで通ってたら、わたしも理解できるんです。ホラー嫌いでも。ああ、なるほどな、って思うんですよ。(一同沸き立つ)でもね、なるほどなあとかって、さっきの、あのちょっと、これ(『富江』シリーズ)今日見てないんであれなんだけど。そうやって、こう、ちらっと言われたりとかしてるのを見ただけで、もう、戸棚のね、さっき見たけど。ああ、今日わたし家帰ったら戸棚見れないなー!ってそう思うわけですよ。」
ここで、深読みしている大人たちが、待ちきれん、とばかりに彼女の意見に対してわあっ!て関心するのが印象的。
彼女のいう戸棚とは、「富江・地下室」に出てくるワンシーンのことで、とても人が入れると思えない小さな戸棚から、富江の元担任の高木が出てくるところを指す。
読んでいる側からすると、いきなり彼がガラガラと戸棚を空けて、富江を燃やし出す。
なんなんだ、いきなり、というシーンである。
ここで、笑うか、怖がるか、線引きがされる。
彼女はこう続ける。
「だって、怖いときってね、暗くなるのが怖かったり、頭洗ってて目を開けるのが怖かったりするんですよ。そういうときって、ストーリーを最初から最後まで追ってるんじゃなくて、怖いシーンのイメージが浮かんできちゃうから。だから、(伊藤潤二のマンガは)見ないっていう。」
これを受けて、岡田斗司夫が「それ(怖いと感じる気持ち)どこに落として来ちゃったんだろう」と述べる。
怖がるのも一種の才能なのかもしれない。