概念を生み出すということ

南部陽一郎ノーベル賞を受賞した。

しかも理論で、だ。すごい。すごいとしか言えない。

小柴昌俊のときは、実験物理での受賞で、巨大なカミオカンデの映像を見て、ビッグ・サイエンスになってきたと感じた。

泥臭い実験のなかからごく微量のものを見つけること。

あれから、5年以上。

もう理論は死んだ、とか思ってたけれど。

教養課程で物理を大学で勉強していて、一般相対論まで修めたが、結局素粒子は勉強する直前で専門課程に移ってしまった。

それでも、南部陽一郎の名前は知っている。


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自発的対称性の破れ(spontaneous symmetry breaking)について:

「場の基底状態に作用またはハミルトニアンを不変に保つような対称性があり、そのうち自然が無作為にある状態(真空)のみをとることで真空の対称性が壊れる現象やその過程を指す。」(Wikipedia

なんのこっちゃ、である。

自然(時空)はもともと対称ではない、といっているのか?

そこで、ブルーバックスの『クォーク(素粒子物理の最前線)』(南部陽一郎、1981)の17章「対称性の自然破綻」を読むことにした。


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「テーブルのまん中にりんごが上向きに置いてあっても、それを下向きにした状態や、別の場所に移した状態も原理的には可能であり、りんごの性質が変わるとは考えられない。」

「異なった向きの球などと言うことは無意味であるが、異なった場所に置けば区別される。」

対称性が増えると、対象操作を施しても変化しなくなる。ということを述べている。

そして、「真空」に関する記述。

「ところが完全な真空、すなわち物質が何もない時空はどんな対称操作を施しても変わらないと考えられる。だから真空はただ一個しかなく、その中に物質をつめこむことによって、初めて多様性が生まれると同時にエネルギーも高くなる。」


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これが「場の量子論」という物理学で定義される真空だという。ポイントは2つの仮定:


・エネルギーが最低の状態(1)

・対称操作に対して不変(2)


である。何となく当たり前、不思議な点はない。

こういう常識を最低限度の仮定として出発するから、物理学はハード・サイエンスと呼ばれるのだろう。

この普遍的(と考えられている)仮定疑うことは容易ではない。

まして、その疑いを概念として提出し、数式化するなどという作業は想像を絶する。

ここにこそ理論物理の真骨頂があると思う。


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さて、自明と思える真空の仮定だが、南部陽一郎は「自明ではない」と言う。

永久磁石をつくれる鉄やニッケルといった金属(強磁性体)を例に取り、説明する。

なんで磁性(磁石としての強さ)が強いのか?

それは金属原子が

S→N

の向きにすべてそろったときが最も安定となるからだ。と。


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対称性の観点からみると、強磁性体の一方向のみの世界は変だ。

エネルギー的には最も安定なのに、である。

これは真空の仮定(2)を否定する。

「われわれは一つの特定の向きをもつ世界に生き、その局所的な秩序の乱れだけを物理現象として観測できる」と。

これが、対称性の「自発的な破れ」なんだそうだ。

まだ、いまいち分からないが、Wikipediaの記述よりは分かった気がする。

南部陽一郎は、ここにきて、自発的な破れの説明としてサラムという物理学者の比喩を紹介している。

鈴木吉男のカットとともに。


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「宴会が開かれていて、大きい円いテーブルのまわりに多勢の客がぎっしり着席している。各々の席の前には皿、ナイフ、フォーク、ナプキンなどのセットがきちんと置いてあるが、隣の席との間隔が狭いので、どちら側のナプキンが自分に属するのかわからぬほど左右対称である。実際どちらを取ってもかまわぬはずだが、誰か一人が右側のナプキンを取り上げれば他の客もそれにならっていっせいに右のを取らねばならなくなり、とたんに対称性が自発的に破れてしまうのである。」


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自明と思われていた真空の対称性に異議を申し立て、新たな一般原理になったわけで。

それはものすごいことだ。

神の視点といっても決して大袈裟ではないと思う。

そういう枠組みへの挑戦に対する評価。

机上で世界を変えることの凄さ。

遅すぎた評価だったと思う。

しかも、今回のノーベル物理学賞はすべて日本人だということ。

つまり素粒子の分野は日本が創り出したといっても過言ではない。

この受賞は世界がそう認識しているという証明だ。


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「自然は対称とは限らない」(南部陽一郎


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「先生は論語の「学而不思則罔。思而不学則殆。」(学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し)を研究のモットーとしておられるそうです。」(KEKニュース

これもいいなあと思った。

考えるだけでも、実験するだけでもだめ。

いろいろなことにたとえられるだろうけど。

バランスということ。

けれど、南部陽一郎自身は対称性というバランスを破ったんだ。

かっこいい。


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蛇足だが、テレビの取材で共同受賞者の益川敏英の発言が冷静だった。

「今回評価された内容は、20年、30年前に出ている結論だ。そのことでノーベル賞を取っているだけで、現在の日本の科学水準が高いということは出来ない。」

これは、まさにその通りだと思った。

ひとつ、思ったのは、今回のノーベル賞で科学に活気が出ることは期待できると思う。

それも基礎科学(ハード・サイエンス)に。