コホモロジー的な構造が美しいところ

コホモロジーのこころ』(加藤五郎)なるself-containedな数学書を開けば、こう書いてあった。

「だれだれの定理によれば」とか「ある文献にあるように」とかを言わずに,本の始めっから自分自身と読者に話しかけつつ,納得しつつ,常に意識の流れを保ちながら全部を説明してしまおう (まえがき)

外部の知識を羅列せずに、自己完結的に自分の語りによって紡ぐ、エッセイのような数学の記述を試みるということだろうか。「まえがき」には数式や専門用語はほとんどない、たった5ページ。しかし、そこで語られている内容は肩の力が抜けた軽妙なリズムのある、単純におもしろい読み物といえる。

大ざっぱに言ったらコホモロジーとは割り算のこと,あの14を3で割るとかいうものです. 14=4・3+2ですが,この「余り」の2というのがコホモロジーの一つの元にあたります.この余りの2ですが5=1・3+2でもやはり余りは2です.そこで14と5は見かけは関係ないのですが,「何かを無視すると14と5はある意味で同じもの」,すなわち,「14と5は余りが2であるということが共通している」,すなわち,「14と5は似ている」,ということになって一つの構造が現れてきます.(同上)

コホモロジーとは割り算とか言われてもわからない。そうではなくて、そんなものかと引き受けてしまえばいい。ここでは要するに同じもの(ここでは3)で割った場合、余りが同じものは同じとしてしまうという考え方を使うということを宣言している。具体例を提示したこの箇所から、文章は意外な内容に変遷する。

このコホモロジー的といいますか,ある部分を無視して大切なところだけを取るというのは,この世にも通用することでして,何も無視しないですべてが大事と考えて生きる人生はその本人にとってもたまらんし,まわりにいる人だって付き合いきれない.逆のタイプもいます.全部無視しちゃって(ときにはそんな気にもなりますが)人生をおくったら,それこそヒッピーみたいになってしまいます.人生はコホモロジー的な構造が美しいところのへんで生きましょうということでしょうか.(同上)

コホモロジーを主とする数学をして、数学者として生活をしてきた。その中から出てきた気まぐれでない、「コホモロジー的な構造が美しいところ」という価値観。そこに触れることは、日常では見られない観点からの気づきを照射してくれる。数学による中庸のすすめ、といってもあながち的外れではないな、と。厳密な論理の鎖を包み込むように、やさしく、そこにあるコホモロジー