音に

聞こえてくる音に耳を澄ます。
普段から多くの音を聴いている。
環境音という、見えないようで見える音。
足音を、ペダルをこぎ出す音を、聴いているようで、どこかに消える音。


  ●


音の持つ感情。

そう、感情によって音が鳴り響くとき、音楽になる。
何であれ、だ。
感情を感じる受け手であっても。
もし主体のない、音であっても。
そう感じたら、音楽になる。


  ●


感じるということ。

それは、とても、人間的な、ことだ。
感じるのはわたしだし、あなたでもある。
はるか彼方と思っていた、死に際に。
戦慄しながらも、いや、すぐ近くにあるかもしれない、と。


  ●


裏腹としての感動、感情。そういった類の。

表:生
裏:死

これが「ひとつ」であり、「ふたつ」でないということ。
そこに音楽が響き渡る。
思い出が誕生する。
おぎゃあ、と産声をあげる。


  ●


音には形がある。

個々人の思い描く色がある。

そして「ひとつ」の絵が生まれ、音楽が紡がれる。
ありがとう。
どうも、ありがとう。


  ●


コーダ。

夢の中へ。

漂流教室(少年サンデーコミックス版)の装丁にドギャギャギャ!

楳図かずお好きです。とても好きです。漂流教室好きです。とても好きです。
という熱気溢れる人たちは、インターネットにも沢山いて、面白いことを沢山書いたり、時には楳図かずお自身を呼び出して、講演会とか対談だとかをやっているわけですよね。

まあ、それはそうですよ。だってあの圧倒的な個性、センス、すげい。

そして、その際立った個性に付随して、出版された単行本の数々。
色んなバージョン、そう、簡単に言うと、色んな「表紙」が同じ漫画に対してデザインされ装丁に使われる。


  ●


少年サンデーコミックス漂流教室の装丁は本当に本当に大胆な配色、構図、レイアウト。ババーン!!ドーン!!て感じなんです。冒頭の1巻の表紙と背表紙だけを漫然と画像で見ても雰囲気は分かると思いますけれども、そうなんですけれども!もっと、もっとですね。あの11巻もあるんですね。そりゃ、素晴らしいんです。それを、今から見てこうと。

これ、1巻の背表紙の「右上」の箇所の拡大なんです。主人公の高松翔君がパー!ワー!していますね。逆さで。これ、もう変です。だって上下逆さまやん。しかも配色が変態で。足元がショッキンググリーンで、これまた頭のショッキングなイエローへのグラデーション。輪郭線(ベタ塗りつぶしも)紫色、パープル、パープルやん。変態。すごい。かっこいい!!

以降の巻でも背表紙の「右上」は重力に反発した、サイケな構図が踏襲されてるんだから、興奮する。するするする!


  ●


はいコレ、2巻ですね。何なんですか本当に、この配色センス。凄すぎます。なんだけど、もっと凄い巻があとから続々出てくるから、ウォーミングアップみたいな所なんですね、これでも。はい!気づきました?

「右上」ですね。川田咲子(咲っぺ)がいますねー。叫んでる、逃げてる!何、何なの?しかも重力に逆らって。

ちょっとここで、ポイントがあるかなーと。1、2巻はですね、表紙の人物を逆さにしたのを裏表紙の「右上」に使っている。いわば流用ですね。横流し。よーわからんけど、3巻以降はこの横流し無くなります。装丁作ってるひとたちも飽きたんでしょうかね。いやいや、見れば分かるんですけど、「ノってきた!!ノッテキターーーー!!」ていう気持ち、んー、パトス?がほとばしってキタ感じなんですよね。熱い、とても暑苦しい。


  ●


さー、高松翔たちがやばいトコへ漂流しちゃいました。もうね。漫画の中身も悲惨なことにどんどんなっていく。そんな3巻です。もうね、やっぱ細部です。拡大です。ずずず、と寄って見るほうが何倍、いや何万倍もこの素晴らしい表紙を味わうことができます。大好きや!

というわけで、やはり「右上」ですね。ずごいい。何なんですかこの70年代の小学館少年サンデーコミックス。センス。いいなあ、自由だなあ。ド赤にド黄色、なのに水色の枠線。漏れちゃうよおれ。

3巻は、11巻の中でも見開きのところが素晴らしいので、ぜひぜひそこも紹介したいんですね。どんなもんかというと、これ!













……。
……。
……す、ご、い。

ドギャギャギャ!!!

おかーさーん!!!

いままで、漫画の見開きにこんなお母さんがのったことってあるんでしょうか?本当はですよ、届くはずのない場所にいる息子の高松翔から電話が繋がるって言う、胸が熱くなるシーンなのに。なにこれ。こええ。怖いです。凄すぎる配色。一切下がらない作り手のテンション。やばい。

コレだけじゃないんです。カバー外すと。そこには。
















……。
……。
……す、ご、い。

ドギャギャギャ!!!

翔くーーーん!!!

くさっ!くさああ!そうなんですね。見開きのお母さんの受話器は、カバーを外した翔くんへと繋がっている。なんというか、演出過剰というか。やりすぎというか。テンションここでも下げないんだ、っていう。かっこいい。


  ●


はい、ちょっとヒートアップしすぎました。というわけで一気に4巻から8巻までの5冊の書影を一気に並べてみました。どれも甲乙つけがたい素晴らしい出来栄えでございます。個人的には4巻と5巻が配色といい、構図といい目茶苦茶好きなんすね。

はい、書影だけなら、一杯みたことありますよね。分かってます。ここで見て欲しいのは、なには無くとも裏表紙の「右上」です。並べますよー。

はい!これだけあります。そしてもう分かんない。どうしちゃったの??というのが4巻の「右上」ですよね。翔くんが3人段々と遠くになっていく配置で並んでますよねー。そして遠い目。何を達観したのか知らないんですけど、すごい透明感。きゃああああ!!!5巻と8巻は横にぞろぞろ並んでますね。ぞろぞろと。もう、全部にコメントしてったら字数いくらあっても足りないす。見て、眺めて、そしてお気に入りを発見して喜びましょう。


  ●


ここからが、本番です。あと残り3巻です。ここからがヤバイ。とても、とっても素晴らしいので、1巻ずつご覧下さいませ。楳図かずお先生ありがとう。装丁のデザインした方々ありがとう。もうアートだよと。芸術だろと。泣くだろと。

9巻です。どうぞ。

はい、これだけだと何だか、何が凄いんだか全然わからないと思います。ですので。拡大しましょう。はい。













更にズーム。











見て欲しいのは。ドット。水玉です。すげーでかいの。もう、ここまで「やっちゃった」というのが偉い、凄い、さらに加速しています。宇宙をバックにゆらゆらしている翔くんですが、地の赤に白、ピンク、黄緑、オレンジ4種類のドットが規則的に並べられ、何の迷いもなく(そう感じられるし、そのテンションが鼻血ブーっ!!!!なんですけど)ババババ、っと置かれている。Yes変態。

んでもって、「右上」ですよね。忘れてませんよ。どうぞ。

ほんとに、手抜きが無い。だってドットの配色違うんですよこれ。さっきと。薄いグリーン(シーグリーンみたい)、紫、薄いオレンジ、赤に近い紫、の4種類になってんですよね。地は白。この「右上」最高です!!!!


  ●


何がいいかって。このドットパターンがあと2冊もあるんですよ!!2冊も。小学生の頃生理的嫌悪感を抱いた漂流教室の表紙が、今ではこんなに芸術的な表現だと感じる。同じ人間が成長して変化した感覚?分かりまへんけど、

「おえええ!!きもちわるうううう!!!」

って感覚と、

「うおおお!!かっこいいいいいい!!!」

って感覚は同じことの両面だよなー、と感じるわけです。まあ、それはさて置き。10巻ですよね。わくわく。

いわずもがな。これは、この状態でも分かりやすいかもですけど。アップします。







ドドドドーーーーン!!!!!
もう小学生じゃないよ。これは。眉間といい、口元の引き締まり具合といい。決意が尋常じゃない様子がビンビン来ますね。ドットは2色使いでオレンジと白をババババと大胆に使ってる。ドットの色使いは9巻がピークなんですけど、このシンプルなドット使いも面白い。てか素晴らしい。

そこで、10巻の「右上」はというとですねー。

もう本当にね。何にも無い「さら」の状態でこれを大きくして、額に入れて近代アートの展覧会とか出してもパワー勝ちしてるよこれは。細かい所での雑さはあるにしても、勢いですか、尋常じゃない「止むに止まれず感」がスピード感を出してる。静止しているのに動いてる。集中線が見える。シュピーン!!!!


  ●


はい。何事にも終わりがあって。最初と終わりは知ってる人が多いですよね。有名なラストの表紙(なのか?わかりませんけれども)、コレ。

内容を表紙で体現している。うう、泣ける。ズームと「右上」。








今度はドットの列で色を3色使っているパターンです。最後まで、エネルギーを使い果たしたのか、少しまとまりの良い感じになっていますけど、その落ち着き方は過不足なく、よくぞ、ここまで貫き通してくれました。パチパチパチ!!!!と賛辞を贈りますよ、ぼくは。










きっと、この空駆ける子供たちが大きなドットで、翔くんの内なるドットが炸裂したんですよこれ。「翔」ですからね。なんていっても。

希望

彼は必ず希望を抱いて生れ、希望の力によって生きて来たであろう。 (凩、寺田寅彦


  ●


旅にでる時、その虚しい希望をもつことの負担の方が大きくなった。 (小さな山羊の記録、坂口安吾


  ●


出世を希望するかぎり、夢にも専門家になってはいけない。 (役人学三則、末弘厳太郎


  ●


只一つの希望は将来楊子が夫を持つ場合お母さんをも大事にしてくれる人を選んでほしいということだけです。 (遺書、尾崎秀実)


  ●


天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見る (デンマルク国の話、内村鑑三


  ●


希望は人を欺き易きものぞ。 (秋窓雑記、北村透谷)


  ●


アの元気ある萌芽を見ると今更ら希望に充される (土民生活、石川三四郎


  ●


『希望』こそ世界の生命である、歴史の生命である、人間の生命である。 (葬列、石川啄木

血管

淡い匂いが血管からすっと消えて行くような気になる (次郎物語下村湖人


  ●


罪人の血管を流れている血も、俺の血管を流れている血も、そう大した相違があるものではない (若杉裁判長、菊池寛


  ●


大静脈、大動脈、肺静脈、肺動脈等の大血管を悉く糸をもってしばり、然る後にメスを以てそれ等の大血管を切り離すのだ。 (恋愛曲線、小酒井不木


  ●


新九郎は自分の血管を流れはじめた長井の血を本当に見つめていたからである。彼を支えているものは、その新しい血でもあった。 (梟雄、坂口安吾


  ●


虎蔵の全血管の中に新しい勇気が蘇って来た。 (白菊、夢野久作


  ●


無常の風に吹きつけられると人の血管が破れるのにちがひない (無常の風、横光利一


  ●


むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身(そうみ)に煮浸(にじ)み出はせぬかと感じた。 (京に着ける夕、夏目漱石


  ●


妾が血管に血の流るる限りは、未来においても妾はなお戦わん。 (妾の半生涯、福田英子)

分岐

分岐し分岐して、それがおしまいにはクレオパトラになったり、うちの三毛ねこになったりする (空想日録、寺田寅彦


  ●


即、魂に枝が出来る。勝手に分岐するのである。 (花の話、折口信夫


  ●


死か生かの分岐点まで押しつめ突きつめて行くよりほかに仕方がない悲しさなのだ。 (悲願に就て――「文芸」の作品批評に関聯して――、坂口安吾


  ●


種々の宗派を分岐し、あまりにも方便化され、単純化された結果、遂に今日の如き堕落、行詰まり時代を招致したように……等々々……。 (探偵小説の真使命、夢野久作


  ●


僕は、哲学と芸術の分岐点に衝突して自由を欠いた頭を持てあました。 (吊籠と月光と、牧野信一


  ●


分岐点には道標が立つてゐたので、迷ひもせずに (小川芋銭山村暮鳥


  ●


決然と分岐する舗装道路や高層ビルの一連 (火の唇、原民喜


  ●


別離の分岐点に立たねばならなくなるのが普通 (人生における離合について、倉田百三

Google Trendsの可能性:Natureの研究から個人的な好奇心の充足まで

2/19に出たばかりの『Nature』にある研究成果が報告された。


検索エンジンクエリデータによるインフルエンザ流行の検知
(Detecting influenza epidemics using search engine query data)
Ginsberg, J. et al. Nature 457, 2009, 1012-1014


題目の検索エンジンとは、Googleのことである。
内容には立ちいらないが、手元のネット環境のあるPCで簡便に高精度なインフルエンザの予想が可能になるかもしれないという、これまでにない結論が得られたようだ。今後のインフルエンザの予防という観点からも示唆に富むものとなっている。

様々に批評を受けてもなお、科学研究の一般論文誌の頂点としての地位を保持している『Nature』に載った論文中で主力となる方法としてGoogleが利用された。この事実は、研究の最前線にもGoogleのポテンシャルが示され、受け入れられた証拠といえるだろう。

Gindbergらの本論文で使用されたGoogleのサービスが、Google Trendsだという。
早速使ってみよう。


  ●


http://www.google.com/trends


これがGoogle Trendsのホームページになる。
個人的な使用した実感から、Google Trendsは世界全域の検索トラフィック平均に基づいて、ある検索語に対する「関心の高さ」の時間トレンドを示しているもののようだ。

具体例:論文トレンドにみる周期性

さて、実際に具体例を示すことで時間トレンドを感じてみよう。

今年も冬が終わりに近づいて、そろそろ春だ。
毎年、大学生(特に理系)の悩みの種が卒業目前に最後の関門として待ち構えている、論文ではないだろうか。冬の時期、日本のあらゆる大学では卒業論文修士論文が提出され、教授から厳しい(?)指導を受け、論文の書き方に四苦八苦、プレゼンテーションでたどたどしくも人前で説明したりすることになる。

一般的には研究室への配属は4年生の春だ。それじゃあ、1年間かけて卒業論文を書くことになるのだろうか。「卒業論文」の時間トレンドを見てみよう。

人間がものを調べるのは、その内容を知りたいと思うからだし、方法論を把握したいからでもある。調べ始めるタイミングから本格的にものごとが動き出すことが多いだろう。今晩の料理の献立を調べてからスーパーへ行く。よくある光景だ。
調べて動き出す。そういった観点から見たとき、「卒業論文」への取り組みは秋から冬(9月から2月)に盛んになっていることが伺える。研究室に配属した直後から「卒業論文」という単語を意識し、焦りはじめるなんてことはほとんどなく、締め切りである2月中旬から3月が近づいてきてはじめて焦りだす。そんな、誰もが共感できる結果がトレンドとして示されていると思う。


  ●


検索語は無数に存在する。
卒業論文は俗に卒論というし、大学院の学生にも修士論文が存在する。一般的に大学の論文というと、研究者のものよりも、学生時代の卒修論である感覚が強い。Google Trendはカンマにより検索語を区切ることで、各語のトレンドをひとつのグラフに示してくれる。
そこで、「卒業論文」、「卒論」、「修士論文」、「修論」の4つの検索語のトレンドを調べてみた。その結果が次のグラフに示したものだ。

卒業論文」と「卒論」のトレンドは同期して変化していることから、「卒論」という単語の一般性が伺える。さらに、「卒論」の指数のほうが全体的に「卒業論文」よりも高いことも、単語の浸透性の高さの証拠ということができるだろう。
一方、「修士論文」は卒論にくらべ指数が低い。検索母体が学部生より院生が少ないこと、一度卒論を経験したことで修士論文を調べなくなること、など、さまざまな理由が想像される。また時期も卒業論文よりも調べだす時期が1ヶ月程度遅い傾向にある。「修論」はグラフ上に見られず、検索はほとんどされないと思われる。

TwitterTumblrに見る増加トレンドと地域性

さて、以上で大学をめぐる論文の時間トレンドを把握し、その傾向はより現実感覚を反映したものであることが明らかになったのではないかと思う。これだけでも利用価値が十分すぎるほど理解できた。

ここからは、2つ目の例を示そう。
「論文トレンド」は毎年周期性のあるものであった。
一方で、成長し続けるトレンドもある。そんな例だ。

ということで、「Twitter」を検索語として選択してみた。Wikipediaでは「個々のユーザーが「つぶやき」を投稿し合うことでつながるコミュニケーション・サービス」として「2006年7月にサービスを始めた」と説明がある。

開始時から現在まで指数関数的に増加し続けていることが分かる。「論文トレンド」では、日本語で検索したため国に着目することはなかった。Google Trendsでは地域的な情報も示される。「Twitter」の場合、利用する国にも注目すると、上位10カ国が示されている。アメリカ、日本、イギリスが上位3カ国であり以下、アイルランド、台湾、カナダ、オーストラリア、と続く。北アメリカ、ヨーロッパ、東アジア、オーストラリアと先進各国に集中し、言語は英語と日本語圏が圧倒的に多い。「日本」におけるTwitterの地域的な特異さは注目に値する。つぶやきでゆるくつながることに、何か国民的な親和性でもあるのだろうか。Twitterが英語と日本語をサポートしていることも頷ける。


  ●


Twitterを利用していると、同時にTumblrの利用者も多いという感覚がある。そこでTumblrのトレンドを検証してみたところ、Twitterと同じようなトレンドの増加がみられた。

しかし地域的にはTwitterとは異なっており、日本、シンガポール、フィリピンの3カ国が上位3カ国であり、アメリカは4位であった。言語圏も日本語が最も多く、Tumblrがいかに日本で利用されているかが分かった。また「Twitter」と「Tumblr」の2つの検索語をひとつのグラフに表示すると、圧倒的にTwitterの方が利用者が多いことが検索の多さから示唆された。
指数の強度比をみると、Twitterのほうが最低10倍以上も検索されており、2009年2月8日では25倍に広がっている。2008年2月まで両者は似たような、横ばい状態のトレンドである様子がみられるが、Twitterはその後2008年9月まで増加傾向が増し、2008年9月から現在まではより急激な増加を示している。

この比較は、全世界を対象とした結果であるため、純粋に日本でのTwitterTumblrの利用者の実情を反映しているとはいえない。しかしながら世界的にはTwitterが圧倒的な利用者を獲得しているといえるだろう。


  ●


そこで、対象地域を日本に限定して作成したトレンドが次である。

その結果、先ほどの全世界トレンドでは見えなかったTumblrのトレンドが浮かび上がってきた。TwitterのFriendは当然日本人であり、その中で使用していての感覚が「Tumblrも使っているひと結構いるなあ」というもの。TwitterTumblrのトレンドの類似性は、その感覚を的確に反映していると思われる。
また、全世界的には指数関数的な伸びを示したTwitterが日本では2006年後期のトレンドピーク後、ほぼ横ばいで安定している傾向がある。サービス開始後3ヶ月で固定したユーザーができ、それ以降は極端な利用者の増加はないのかもしれない。Tumblrは3ヶ月ほど遅れて日本に入ってきたような印象である。
それにしても、Twitterにせよ、Tumblrにせよ、日本人の新しいものへの順応性の高さをまざまざと見せられた気がした。

つまり

以上、こんな簡単な利用だけでも、多くの発見があった。Google Trendsは多くのひとの現実の感覚を的確に反映した非常に強力なツールだといえないだろうか。

ログインすればデータを入手することもでき、検索語をより増やし、冒頭で示した『Nature』にも耐えうるレベルの高精度の結果をも出し得るGoogle Trendsの可能性。しかもネットにつながっているのならば無償で。

おもろいやんけ。

muxtapeが戻ってきた

muxtapeが戻ってきた。

みんなのテープを公開して、共有しようってことで始まったmuxtape

音楽にそれほど熱がなかったひともきっとハマッタであろう
シンプルで、力強いユーザーインターフェース

いろんなソフトも作られた。
音楽をきっかけにして、楽しい流れ、未知の流れが生まれてきた。
これから始まる「予感」に満ちた場所という感触を世界のあちこちで、
同時に共有しているという確信のようなもの。

新しい。と感じたはず。

けど、権利関係の絡みで無くなってしまった。
さびしい思いをした。


  ●


http://muxtape.com/

へ再訪しよう。
ただしブラウザはFirefoxがいいみたい。
Sleipnirを愛用している僕のような末端のユーザーには、優しくないみたい。
うまく動いてくれない。)

懐かしいカセットテープが相変わらずトップに表示される。

1月末の今は、まだテスト中。
12組の、(きっとCEOのJustinが)お気に入りのアーティストの音楽が聴けるという。

下へスクロールすれば、12のカラーバーが見える。
「プラス」ボタンを押せば、例えばAdronというアーティストの曲が表示される。
曲をクリックすれば音が鳴り始める。

不思議なのだけど、僕はmuxtapeで鳴り始める音に胸が高まる。
これは他の音楽関連サイトでは感じたことがない。


  ●


よりアーティストのことが知りたくなったら、例えば
adron.muxtape.com
をクリックすれば、そのmuxtapeにリンクする。

おそらくAdron本人と思われる写真と、何かのスケッチ。
そして数曲のリスト。

たった1ページの極めてシンプルな自己PRの空間。

余計な広告は一切存在しないクリーンな場所。
ただひとつあるのは、曲をクリックするという行為だけだ。

音楽が始まる。


  ●


これからmuxtapeはどこへいくのだろうか。
トップページからLearn moreを辿れば、先のことが書いてある。

一行目:
muxtapeはシンプルを追求する。音楽はクリーンで妨害されることのない場所が必要だ。」
(unobstrusiveはunobstructiveの誤植だろう)

二行目:
「個々のアーティストに広告をのせることは決してない。」

それ以下は、アーティストにとってmuxtapeが、
まったく新しいプラットフォームとして機能していくようにする宣言だ。

何が始まるのか分からない。
けれど、数曲聴いてみたときの裏切られ「なかった」感触は確かだ。


  ●


最後に。
muxtapeらしさがこんなところに凝縮されていると思う。

「たまにしかないアップデートのためにメーリングリストに追加して下さい。(つまらないものはありません)」